開高健 ぼくの”黄金”社会科

開高健は昭和 38 年十月∼ 39 年十一月にかけて、「ずばり東京」と題する一連のルポを週刊朝日に連載し、ルポライターとしても文名を一挙に高めた。

それまでに、開高は同じ週刊朝日に「日本人の遊び場」というルポも連載していたのだが、 42 年後の今日、愚老が子細に点検してみると、これは「ずばり東京」を書くための準備、筆慣らしとい っても過言ではないと思われる。ちなみに述べておくと、開高は、その五年前に芥川賞を受賞して 世間の注目をあび、その後は一貫して純文学(ヘンな呼称だが)と称される領域の作品を発表し続 けていたので、そんな高級?な作家が、なぜこんな下世話な新聞記事のような作品を書くのかと訝るむきも少なくなかった。

開高の作品にはおよそ駄作というものが少ないが、それでも愚老の点検によれば、「ずばり東京」 までの諸作品はいわば青くさい若書きであって、人生の疾風怒濤をどうにかしのいで一種静謐な心 境に達した読書人の味読にはたえない。彼独自の痛々しくはち切れるような感受性はまだ十全な表現には出会ってはおらず、辛口でいえば、これらの諸作は、あってもいいが、なくても一向惜しく はない。要するに、開高は、まだ開高健の本質を把握するに至っていないのである。のちに雲固(うんこ)、 御疾呼(オシッコ)、御鳴楽(おなら)という言葉で代表される言語機能の髄をにぎったような、読者の五感をいちじるしく刺激する自在な表現にはまだ達していないのである。「日本人の遊び場」では、「食いだおれ」 の章に「キンギョク一丁やア」(これはニワトリの金玉を食わせる料理で、これを食うと精がついて精がついてタマらなくなるという触れこみの一品)という如何にも開高ごのみの一編があるが、 ここで放屁に使われている言葉は、まだ「オナラ」であって「御鳴楽」にはなっていない。

ところがだ。「ずばり東京」となると表現がにわかに緻密になり、かつ具体性をおびて生き生き としだす。取材も一段と用意周到となったようで、作家は一編ごとに文体を工夫し、対象への切り口を変えてみせる。そしてその文体は、いずれもつやつやと輝きを帯び、読者をめくるめく知的感 覚的興奮へと導く。まるで別人の作のようである。この作品の文庫本の背表紙は、こう謳っている。

この作家のルポルタージュ作品の中で、ひときわ鮮やかな光を放つ名品。 1960年代前半、東京オリンピック前後の、この都市の諸相。眼もなく、足もなく日々生成をくりかえすアメーバの街。深 夜タクシー、屋台のオデン屋、トルコ風呂考現学等々、著者自身、泥酔、飽食、宿酔しつつ、足と舌と裸の眼でさぐる、悪戦苦闘の名ルポだ !

なかでも、「ぼくの ” 黄金 ” 社会科」と題する一編。話題といい、文体といい、まさに名 の名に恥じない。こういう文章が名文と思えないようなら、そんな読者は文章表現とは縁なき衆生。本 など読まない方がよいのである。

この作品は、小学生の文体で書かれている。こんなふうに始まる。

「こないだ新聞社のおじさんがやってきてぼくに宿題をしているかと聞きました。ぼくの顔さえみたらそう聞くのです。おじさんは若いけれどまるまる太っています。銀座のネズミみたいだというとおこります。」

そのおじさんがうんこを見にいこうと言い出す。健は給食を学校で食べて家へかえってからトイ レに入るだろう。それならだしたものがどうなるのかみとどけなければいかんじゃないか、という。

そこで。

「いきましたのは神田三崎町の投入場と大手町のポンプ場と山王下の下水見学場と砂町の処理場 と月島にあるうんこを海にすてる舟の事務所です。とちゅうで元気がなくなったので二日かかりました。これでうんこのことならたいていわかったから健は ” べんつう ” になったのとおじさんはいいました。せんにぼくがマンガばかりよんでいるのでマンつうだといったこともあります。ぼくは マンつうでべんつうだそうで、ゆうべん大会にでたらきっと勝つぞとおじさんはいいました。 (引 用者注・マンがマンガのマンでないことくらいはお判りであろうな)。

「三崎町の投入場はにぎやかな町のまんなかです。神田川が流れています。(略)床はコンクリで す。ところどころ穴があいてます。バキューマーが何台も何台もひっきりなしにやってきては穴のなかに太いゴム管をつっこむのです。そうやってうんこをすてます。(略)

穴をのぞいてみたら黄土色の水がすごいいきおいで流れていて、すごいにおいでした。うんこは おもいからほっておくとよどんでしまう。かるくしなければいけない。そこで神田川からポンプで 水を一日に何十キロリットルとくみあげてうすめるのだと所長のおじさんが説めいしてくれまし た。(略)わかった、ハイボールにしてるんだとぼくがいうと、おじさんは、毎晩おれはのんでるんだぞといいました。

ベルトコンベアがタンクのなかからいろいろなものをひっかけてあがってきます。ゴムぐつをはいたおじさんたちがそのもろもろをまんが(著者注・馬鍬のことか)でコンベアからかきおとしま す。まるで壁土をねっているみたいでした。すごいにおい。目がちかちかして鼻がつんとなってしまいました。天じょうのへんでシュウシュウと白いけむりが吹きだしていて、所長のおじさんが、 あれはにおい消しのエヤー・ウイックだといいました。ぼくの家のトイレにもあります。ボタンを おしたらスカッーとでるやつです。水洗にするよりこのほうが安いからといっておかあさんが買います。おかあさんはけちんぼだからお金があっても安いものを買います。」

引用者として注釈すると、このおかあさんが、彼の賢夫人として名高い牧洋子女史をさしているのが苦もなく理解できないようでは開高の読者とはいえない。たしか夫人は、開高より七歳年長で ある。このあたり、開高の夫婦関係が思われて読者はクスクスするはずである。そこへこんな文章が続く。

「ここで大きなじゃまものをすくいとってからうんこはほかの下水管からきたのといっしょになって芝浦の処理場へいき、きれいにされて太平洋へいくのだそうです。けれど、東京は台地がたく さんあるから、土地の高い区からきたぶんは芝浦へ急行でいきますが、土地の低い区からきたぶんはよどんでしまう。元気がなくなって下水管のなかでどんよりしてしまう。そこでどこかですくいあげ、エイヤッといきおいをつけてやらなければならない。(略)大手町にあるポンプ場がこれを するのだ

大手町にはガラスと鉄でできた新しいビルがたくさんあって、外国からえらい音楽家がくるとおかあさんはぼくをつれていきます。道はでこぼこではありません。土や木はどこにもありません。 ピカピカひかるホテルや銀行ばかりなのです。みんなきれいな服を着て歩いています。(略)そう いう町のまんなかにうんこのポンプ場があるというのでぼくはすっかりたまげてしまった。
二階だてのへんな小さい役所のなかに家ぐらいもある大ポンプが何台となくおいてあっていっせいにぶううううううんとうなっていた。これがうんこを直球でとばしてるんだな、とぼくはおもっ た。一歩入ったら、また目がちかちかしてきた。奈良づけかくさやの工場に入ったみたいでです。 おじさんはあたりをクンクンかいで、ローマのチーズ屋にそっくりだとつぶやきました。家へかえっておかあさんにそういったら、キャアッ、いっぺん外国へいってみたいなあとためいきをつきました。 (略)

いまここに地下だけで五階もある三菱のビルができてすっぽりとポンブ場をかくしてくれるそう ですが、そのビルは東洋一だといいます。(略)でもそのビルができても、地下でうんこをとばすことだけはやめないそうです。なにしろ、もう、古くからあるんで、いまさらあれで、どうしよう もないのだ、と所長さんはいいました。(略)
暗い地下室へおりると二つの大きなうんこのブールがあります。さきの三崎町でハイボールになっ たのがここへくるのです。プールのはしに大きな鉄のくしがあってじゃまものをくいとめ、ろかします。ひっかかったものをトロッコではこびだします。スコップでつめこむのです。ゴムぐつをはいたおじさんがやっていました。りゅう酸のかめをかいだみたいなすごいにおいがギリギリと胸からおなかいっぱいにつまり、たちまちぼくは鼻つんになってしまいました。(略)おじさんは青い 顔をして生きるってたいへんなことなんだといいました。(略)

いろんなものが流れてくる。なんでも流れてくる。(略)人間の体のなかをとおったものもとおらなかったものも、イカのゲソでも赤ん坊でも、ハンドバッグでもえろしゃしんでも流れてくると所長さんはいいました。一分間に七十二コもゴム長が流れてくるといいました。一分間に七十二コですかとおじさんがきくと、ええ、そう、一分間に七十二コ、朝の十時ごろがいちばん多いようですなとおじさんがこたえました。二人はわらっていますが、いったい朝の十時ごろになんだってゴ ム長をそんなにたくさんトイレにすてるのか、ぼくにはさっぱりわかりません。庭の土にうめたらモグラがかぶってでるからかなあといっておじさんはまたわらいました。( # 引用者脚注 1 )

東京の下水道は二割ちょっとくらいしかないそうです。(略)だからバキューマーでくみとりを しなければなりません。そのくみとったぶんも六割ほどが海にすてられて、科学的にきれいにされるぶんはわずかなのです。(略)

海へすてるのは大島あたりまでもっていくのだそうです。東京湾で一千トンくらいのオイルタンカーにだんべい舟からつみかえてもっていきます。大島あたりには黒潮の本流が流れています。舟からすてるとしばらくのあいだは太平洋にもっくりと黄色い島が一つできたみたいにただよっているが三十分もすると、すっかりなくなってしまうそうです。

舟の事務所のおじさんのいうところでは、すてたうんこを原生植物というのがたべ、それをイワシがたべ、それをカツオがたべ、それを人間がたべるのだそうです。(略)たしかにそうだとおもいます。ぼくは一つかしこくなりました。学校の先生ももとはプランクトンかカツオだったかもしれんとおもいます。

砂町は五万つぼもある広い島ですが、夢の島とおなじで、ごみでできたものなのだそうです。こ こでは下水とうんこのの二つをきれいにします。うんこだけで三百万人ぶんをこなすそうです。下水はきれいにして水と泥にわけ、水は送りかえして工場用水に使います。泥は栄養分が多いのでミ カン山にもっていくそうです。(略)

処理場からでた水はびっくりするくらいきれいになるのです。のんでのめないことはないそうで す。(略)小台のほうりゅうこう(筆者注・放流口のことか)のまわり二メートル四方ぐらいには 魚が集まってきて住みついています。これは荒川に流れこんでいて、荒川は工場の汚水でシジミ一コ住めないくらいよごれ、インキみたいです。しかし、この二メートル四方にだけは魚がうようよ住んでいるのです。(略)タナゴやキンギョみたいな弱い魚も住んでいます。(略)潮がさしたり ひいたりしても汚水はこの二メートル四方のうえとよこをとおっていくだけですから魚は平気なのです。処理場の水は朝から晩まで流れてとぎれることがありませんから、この部屋はこわれないのです。魚たちは下水の栄ようたっぷりの水を吸ってるのでまるまる太り、えさで釣ろうとしてもみむきもしないそうです。(略)おじさんはすっかり感心し、ホッとするなあ、ホッとするなあといい ました。」

と、山吹色にかがやくこの篇は、ここで完結する。

以上ごらんのとおり、この作品はなんとも露骨かつ痛烈なルポであって、ただ読んでいてさえ目がチカチカして息が詰まりそうになるが、同時に行間から開高独自のユーモアがにじみでてくるのが、かいなでのルポとは大きくちがうところである。

とくに最後の汚濁した荒川の中のきれいなニメートル四方の排水に棲息する魚類のイメージは鮮 やかで、その後、宇宙船地球号という言葉で喧伝されることになる人類の未来を暗示しているかのようである。

この時の開高は三十二、三歳にすぎなかったはずだが、すでに、後年、枕頭の書としてしばしば 言及するガリヴァ旅行記やラブレーのカルガンチュアやパンタグリュエル物語を自家薬籠中のものとしていたのにちがいない。三百万人のウンコはまさにラブレーが描く巨人たちのウンコの後始末のようである。なにしろカルガンチュアが、ノートルダム大聖堂に腰かけている彼を見に集まってきた群衆めがけて、やおら股袋から一物を抜き出し群衆めがけて金色の雨を降らすと、そのために溺れ死んだ者の数は二十六万四百十八人だったというのだから、こうした比喩も愚老にはあながち荒唐無稽とは思われないが、さて諸賢はいかがごろうじられるか。

ガリヴァが小人国の捕虜となって脱糞したときには、当局もちゃんと心得て、毎朝王様の下僕二人が何杯かの手押車で片づけてくれたということだが、そのナンセンスぶり規模の雄大ぶりにかけては、さすがスイフトもラブレーの比ではないようである。

とにかく開高は、こうして東京中を歩きまわって余人のなし難い名ルポを発表しおわると、最後の回を 「サヨナラ・トウキョウ」 と題して、折りから執筆中の小説「青い月曜日」もなにもかもすべてを放り出し、いきなりヴェトナム戦争の地獄へと自らを鞭打つようにして飛びこんだ。開高は、彼の痛切な感受性にふさわしい、より過酷な現実を必要としたのであろう。その後の彼の文章は誰もが知るとおりである。腐敗、酸 、燃え上がる宮殿のような黄昏、屍液、雲固、御疾呼、御鳴楽、ファラス、カント、御芽子、尿臭等の開高語が連打され、人生や社会の、悲痛、困憊、滑稽、呑気、美味、敗残、共鳴、嫌悪などの相互に矛盾反響しあう共和音、不協和音があふれ出し、それらが完璧にまとまって一大交響楽となるというわが国の近代文学はじまって以来の壮観が現出したのである。

その結果、われわれ同時代の読者は、「ベトナム戦記」「輝ける闇」等の名作を次々と読めるという幸福を得ることとなるのだが、惜しいかな、ここは開高論を展開する場ではない。 愚老の酷愛するこの作家については、わが命が終わるまでに、いささかのオマージュを捧げてみたいものだと心から願ってはいるのであるが。

文献

ずばり東京・文春文庫

引用者脚注1:下水道はパリが有名であるが、ある日、この下水道にベッドがまるごと流れてきたということがあったそうである。当事者は、これがどこから投入されたのかがじつに不可思議だと頭をなやませたという。この事実は後日パリの下水道の項で言及する。

追記 :開高健の理解には、一に向井敏、二に谷沢永一、三に山崎正和の開高健についての諸論が絶好であり、別枠に司馬遼太郎のおよそ異例ともいえる長大な弔辞がある。また、秋元キャパこと秋元啓一、高橋曻らの天才・俊才カメラマンの写真があれば、開高論はこれだけでいい。書誌学的研究は 別として、後のものはどうでもいい。とにかく読むことだ。読みふけることである。