パリの下水道
ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」とその周辺

 ヴィクトル・ユーゴーが大長編小説「レ・ミゼラブル」で、主人公ジャン・バルジャンを官憲の追求から逃れさせるために下水道にもぐらせた一件で、パリの下水道は世界中に知られることになった。
すなわちユーゴーは、ジャン・バルジャンが、長年わけあって同居し溺愛していた孤児コゼットが、愛を寄せるようになった瀕死のマリウスを抱えて、政府軍の攻撃で壊滅した共和主義者のバリケード付近のマンホールから下水道にもぐり、パリの暗黒の下水道を、ジャン・バルジャンの天性のカンで右折し左折させ、延々5キロあまりの道程を過たずに踏破させ、セーヌ右岸の放流口にまで到達させたのである。このあたりの描写は豊島与志雄の翻訳で読むと息づまるようで、思わず手に汗をにぎらされる。

 この小説の魅力の一つは、主人公のジャン・バルジャンの不遇な生い立ちやそれにもくじけない彼の不撓不屈の気力と博愛精神、おぞ気をふるうような悪党のテナルディエとその家族の酷薄な運命という話の道具仕立てもさることながら、これらの登場人物を自在にあやつる作者のユーゴーが、その人物たちを活動させるにあたって、その場面の状況を、汗牛充棟もただならぬ知識と壮大な彼のボキャブラリーを総動員して熱っぽく説明し、意見を加えるところにある。
   例えばワーテルローの記述を読めば、この歴史的大会戦がどんなふうに開始し決着したのか手にとるように理解できるが、この壮大な描写も、ナポレオン軍の敗残兵のテナルディエが、戦死した自軍の将校ボンメルシーから遺品を盗もうとしたところ、偶然彼が息をふきかえし、不幸にもテナルディエが彼を蘇生させたとばかり思い込み、ボンメルシーがテナルディエに対し感謝の念を心に深く刻み込んでしまうという事を述べるためだけにあるのである。このボンメルシーの息子がマリウスなので話の筋が複雑になり、面白くなるのである。
 戦後の日本の文豪ともいえる司馬遼太郎も、よく調べて書くのが得意な長編作家であるが、その書き方は、諸人の反感をかわぬように細心の注意をはらい、思うところの半分ほどをあわあわと単彩で描き、あとは読者の想像に任せるといったやり方である。彼我の差を端的にいえば、大号の油絵と墨絵の違いであるが、これが日本人の好みだとすれば、我々は、やっぱり、物事の直視を嫌って万事をアイマイにしたがる人種といわれてもやむをえない。欧米人がつくりあげ、いまなお研きあげている自由資本主義という文明のなかで暮らす以上、これではいつまでたっても、我々は欧米の後塵を拝するということになりかねない。日本人は東西で股割きにされるぜと予言した漱石の慧眼が、いよいよ不気味に迫ってくる所以である。
 ところがユーゴーとなると、こんな些細なことまで説明してくれなくたってそんなこと話の筋とは無関係じゃないか、いい加減にしてくれよといいたくなる事すら少なくないのであるが、そんな読者の言い分などどこ吹く風、ここまで言わなければワシの意図は一貫せぬわいとばかりの長広舌。辟易しながらつきあっているうちに、終いには、この熱弁が一種の魅力となって読者をとりこにしてしまうところが彼の大手腕。この熱血ぶりは、ナポレオン三世から迫害されたくらいでは、そう簡単に静まらない。さすが、詩を書き、戯曲や小説を書き、それでも満足できず政治にまで走らずにはいられなかった大文豪だ。まるで真っ赤に燃え輝く太陽である。小説家で政治家になる人も、現代の日本にも何人もいるが、(個人名をあげて恐縮だが、石原慎太郎などがその例)このヒトは全くケタがちがう。血液の濃度といったようなものが、日本人とはおそろしくかけ離れている、という感じがする。
 さて、そこでユーゴーは、ジャン・バルジャンの脱出劇を描くにあたり、例によってパリの下水道についても熱弁をふるうのであるが、その長さというかしつっこさは、岩波文庫版の豊島与志雄訳では第五部第二編が「怪物の腸」としてまるごとこの演説にあてがわれ、その文量はなんと20頁にもなる。そして、その冒頭から、パリは「黄金を無駄に川に捨てている」といって、ナポレオン三世が推進した下水道政策そのものを痛烈に批判するのである。その一部を以下に引用する。

《パリーは年に二千五百万フランの金を水に投じている。しかもこれは比喩ではない。いかにしてまたいかなる方法でか?否昼夜の別なく常になされている。いかなる目的でか? 否何の目的もない。いかなる考えでか?否何という考えもない。何ゆえにか? 否理由はない。いかなる機関によってか? その腸によってである。腸とは何であるか? 曰く、下水道。
 二千五百万という金額は、その方面の専門科学によって見積もられた概算のうちの最も低い額である。
 科学は長い探究の後、およそ肥料中最も豊かな最も有効なのは人間から出る肥料であることを、今日認めている。恥ずかしいことであるが、われわれヨーロッパ人よりも先に支那人はそれを知っていた。エッケベルク氏の語るところによれば、支那の農夫で都市に行く者は皆、我々が汚穢と称するところのものを二つの桶いっぱい入れ、それを竹竿の両端に下げて持ち帰るということである。人間から出る肥料のお蔭で、支那の土地は今日なおアブラハム時代のように若々しい。支那では小麦が、種を一粒蒔けば百二十粒得られる。いかなる海鳥糞も、その肥沃さにおいては都市の残滓に比すべくもない。大都市は排泄物を作るに最も偉大なものである。都市を用いて平野を耕すならば、確かに成功するであろう。もしわれわれの黄金が肥料であるとするならば、逆に、われわれの出す肥料は黄金でなる。
 この肥料の黄金を人はどうしているか?深淵のうちに掃きすてているのである。
 多くの船隊は莫大な費用をかけて、海燕やペンギンの糞を採りに、南極地方へ送り出される。しかるに手もとにある無限の資料は海に捨てられている。世間が失っている人間や動物から出るあらゆる肥料を、水に投じないで土地に与えるならば、それは世界を養うに足りるであろう。
 標石のすみに積まれてる不潔物、夜の街路を通りゆく泥濘の箱車、塵芥(ごみ)捨て場のきたない樽、舗石(しきいし)に隠されてる地下の汚い汚泥の流れ、それらは何であるか? 花咲く牧場であり、緑の草であり、百里香や麝香草や鼠尾草(たむらそう)であり、小鳥であり、家畜であり、夕方満足の声を立てる大きな牛であり、かおり高い秣であり、金色の麦であり、食卓の上のパンであり、人の血管を流るるあたたかい血液であり、健康であり、喜悦であり、生命である。地にあっては諸(もろもろ)の形に現われ、天にあっては諸の象(すがた)に現われる。神秘な創造は、そうであらんことを望んでいる。
.それを取って大なる坩堝に入るれば、人の豊かなる滋養が流れ出る。平野の養分は人間の養いとなる。(一 海のために痩する土地)》

 まるでこれは、本稿第5章の中村浩博士の説そのものである。中村博士がユーゴーを読んでいたという気配がないのは残念だが、博士がこれを読めば、膝を打って快哉を叫んだだろう。
 ユーゴーの意見に従えば、下水道を完備させて排泄物を川に流し、その結果、河川を汚染させることなど、とんでもないまちがいだということになる。
ウンコやオシッコを田園に返せ。これが彼の主張である。
 そうなると、日本のトイレ事情も江戸時代か、少なくとも、愚老の青年期にまで逆戻りしなければならなくなる。なにしろ江戸時代はウンコ、オシッコは一種の商品だったので、このもののリサイクルが完全にゆき届いていたことでは世界に冠たるものがある。もし、ユーゴーが江戸にきてこの事実を目撃していたら、ウームと絶句したにちがいない。だが、同時に、湿気の多いわが田舎の当時の田畑の臭さの強烈なのにもホトホト辟易しただろう。
 ユーゴーは「パリの糞は最上とされている」と妙な自慢をしているが、この最上のやつが最悪に臭いのだ。あらためて、ウンコを無臭のサラサラの粉にした中村博士の先見性が思われるのであるが、博士に倣って、ここで一つウンコ、オシッコに関する一大科学・産業の勃興を唱える有力者はいないものだろうか。” 知の巨人” と奉られている評論家も、何も先端科学とかにドチくるって宇宙だの脳だのコンピューターだのをふりまわすばかりが能じゃないぜ。こういう臭い問題に鼻をつっこんでくれたら、愚老はこの人をほんとに尊敬するがな。今は国賊のように言われている西武鉄道の先代の社長堤康次郎も、幹部社員の大反対を押し切って糞尿を輸送する列車を造り、東京の糞詰まりの解消に多いに貢献したという事実がある。
 それでも最近はコンポストなどといって糞尿を肥料にもどす工夫が各種なされているらしいが、まだまだ手ぬるい。大部分の汚泥はわざわざ石油をぶっかけて焼却しているのが現状らしい。そしてこの大規模な焼却というやつ、万民の上にどんな災害をもたらすものかは、一部の識者はよく知っている。政治家の諸君も、靖国問題とかで非生産的ないい争をしている場合じゃないよ。まぁ、こんなこといっても、ゴマメの歯ぎしりだがな。
 それにしても、ユーゴーはパリの下水道をよく調べあげたものである。下水のなかにはあらゆる幽鬼が棲んでおり、中にいるヴィヨンと外のラブレーとが会話する窓がそこここに開いているなどという文句はとてもじゃないがユーゴーじゃなければ書けやしない。ヴィヨンというのはフランスの十五世紀の泥棒で、かつ大詩人でもあったやつ。ラブレーは、愚老が第2章で述べたとおり。当時のパリの下水道は悪党どもの棲処(すみか)でもあったわけだ。
 唐突ながら、ここに好学な日本人が一人現れる。
この人は、そう暇人とも思えないのに、ジャン・バルジャンがどこから下水道にもぐり、どんな道筋をたどったかを、パリの古い地図や下水道の測量の資料に基づいて克明に調べたあげたのである(参照・図1)。実際に彼がもぐったわけではない。こうなると、また楽しくなるね。

 この人、岡 並木氏といい、朝日新聞の記者であり、編集委員(交通問題・都市問題)でもあった方。本に書いてある略歴で調べると、ご健在なら現在(平成17年)79歳くらいになっておられよう。その本を「舗装と下水道の文化」(論創社・1985年)といい、いろんな意味で面白い。この本は、まずこんなふうに始まる。

《久しぶりにパリのサンドニ街を歩いた。(略)ジャン・バルジャンはこのあたりの排水マスから下水道にもぐり込んだ。実際のその穴をさがしたくてやってきた。(略)
   すべてがある、というパリのことだ。ジャン・バルジャンがどこからもぐり、どうたどってセーヌの川岸に出たかを語る地図がないはずはないと考えていた。ところが、パリの歴史博物館、セーヌ県古文書館、下水道史展示館、そしてユーゴー博物館にさえ、それはなかった。では、ジャン・バルジャンの脱出経路は、ユーゴーの架空の道だったのか。
   そうではなかった。パリに詳しい友人と何度か足を運ぶうちに、歴史博物館と古文書館に、〔マリウスが加わった〕暴動後まもなくの街路図と、当時の数種類の下水道地図のあることが分かった。また一八三六年には、パリの下水技師エメリーが精密な下水道統計と測量記録を残していることもわかった。そしてユーゴーは、これらの資料にもとづいて『レ・ミゼラブル』(脱稿一八六一、明治維新の七年前)を書いた、と研究文献にあった。
『レ・ミゼラブル』に描かれた街路名を頼りに、現在の地図でその経路を探そうとしても分からなかった。しかし古い地図とつき合わせてみると、入った穴の位置、下水道の経路、川に出た脱出口の位置がわかってきた。(略)》

岡氏はそう述べて図1を作成し自著のしょっぱなに掲げたのである。パリが好きな人は、この略図だけで、大体の見当がつくだろう。

pari-gesui-image

              図1

岡並木・舗装と下水の文化(論創社・1985)より。

   労作とはこういう本をいう。ちなみに下水技師エメリーが精密な下水道統計と測量記録を残した1836年とは愚老の生年のちょうど一世紀前であり、その前年に、坂本竜馬、福沢諭吉が生まれている。江戸時代が成熟したいい時代だったのかどうか、愚老は判断を保留するが、沈滞した時代だったのはこれだけでよく分かるだろう。信長の時代には日本とフランスとでは、文化のうえでそんなに差異があったとは思えないのに、幕末の30年前には、彼我にはこれだけの技術差が生じていたのである。どこかの将軍様の威張っている国ではないが、支配者の家系の存続だけを至上目的にする政治体制なんて、あんまり評価できたものじゃないぜ。
  それはさて措き、この書物のなかで、岡氏は興味ある事実を明らかにしている。何と近代のパリは、ユーゴーの批判をとりいれたかのように、下水の水を(これを氏は生下水と呼ぶ)延々20数キロを農地に逆送させて、セロリ畑等の灌水に使用しているという事実をレポートしているのである。以下はその原文。

 《この水はパリからパイプで直送されてくる生下水である。濁ってはいるが、においはない。噴き出す力は、ここがパリより低いために働く自然の力だという。畑に流れた下水は、表土に養分を残し、地下に浸透して浄化され、セーヌ川にしみ出して行く。(略)十九世紀末から約五十年、パリの下水はすべてこうして畑地に送られていた。都市化が進んで畑が減り、処理場が必要になった。だが、いまも下水の七%、年約五千トンが、処理場を通らずにもろこしやセロリ、ビートのこの畑に送られている。》

   これが事実であるとすると、糞尿のリサイクルがゆき届いていたのは、何も江戸だけに限った話ではないということになる。メルシェの時代の言語に絶するパリの汚穢は、ここに至って、果然、世界都市にふさわしい基盤を備えるにいたったと言うべきなのだろうか。このへんはもう少し考察を重ねる必要があるようである。
   それはともかくとして、さらに岡氏は、この事業の管理者の次のような言葉も紹介している。

《この水に問題があるとすれば、リン分が少し足りないことです。重金属?大したことないでしょう。パリには大工場がないから。》 

事実、この生下水と井戸水とでは、野菜の取れだかや出来が全然ちがうというのである。
この事業を提唱して実現化したのは、パリの下水道の近代化を推進したオスマンから事業を全面的に委託されたペルグロンという下水技師だったのだそうであるが、ユーゴーやベルグロンについて、この管理者は次のように語ったという。

《天才的な人たちでした。いまパリは農地を失ったが、小さな市町村は、やはり下水は土に返すべきです。近代式処理場はまちがっている。》

下水道が完備するにつれて地方自治体は、いやがおうでも大規模な処理場を設置しなければならなくなる。この下水処理という技術こそ、古代ローマ帝国でもなし得なかった誇るべき技術で、このため河川の汚染が免れ、より安全な飲料水が確保できるのであるが、だからといってこの手段は、現状のまま進めればそれで万事解決というものではないだろう。もっと安上がりな、もっと気がきいた手段がどこかにあるはずだ。生下水の逆送など、さしづめその一つかもしれない(もっとも、日本の大都市や工場地帯では、生下水を送るまえに、肥料としての有害物を除去するという厄介な問題が生じるのではあるが。)
   しかし、「小さな市町村は、やはり下水は土に返すべきです。近代式処理場はまちがっている」とは、じつにいい言葉だね。日本の地方自治体の下水の関係者でこんなことをいえる勇気のある人はいるのかな。とにかく、関係者はこの本を一度御覧じろ。そしてそれから、下水の問題点について本心を以て語ってくれや。
開高健がもしこの本を読んだとしたら、「ぼくの”黄金”社会科」も書き直されたかもしれない。愚老も是非一度パリの下水を見ておかなければと、わざわざ真冬にパリにまで出かけてみたわけである。(参照・パリの下水博物館訪問記)


文献
1) レ・ミゼラブル。ヴィクトル・ユーゴー作(豊島与志雄訳)・岩波文庫(全4巻)
2) 舗装と下水道の文化・岡並木著・論創社・1985年


追記
ユーゴーが生きたフランスの苛烈な時代と、彼がそれにどうかかわって生きてきたかを知るには、「私の見聞録」(稲垣直樹訳・潮出版社・1991年)「ヴィクトル=ユゴー」(辻 昶、丸岡高弘共著・清水書院・1981)が最適である。なぜフランスの右翼も左翼も、ごぞってユーゴーの死を悼み、彼に国葬の栄誉を与えたのかがよくわかろう。
下水道とは、液性の廃棄物を非分別で収集する方法といってよい。さすが、大規模な工場の有毒廃棄物は下水に流すことを禁じているようであるが、そのため、工場は自分の自由になる地面に穴を掘ってこっそり流してしまうようなことがままあるという話を聞く。これは問題を先送りにしてより複雑にし、その解決をかえってより困難かつ高価にするのは、悲惨な水俣病がよい例となる。我々は、冗談ごとではなく、中村博士の食料革命という思想を真剣に検討しなければならないのである。
愚老は水道にフッ素を添加する、いわゆる水道フッ素化論者とながねん理論闘争をつづけてきているが、本章の文脈から見ても、フッ素化がいかに愚策にすぎないかがよくわかるだろう。
  アメリカなどで水道に添加されているフッ素は、フッ化珪酸というやつで、これは燐酸肥料を製造する工場の煙突のフィルターを洗浄する時に多量に出る廃棄物で、あらゆる毒物を含んでいるために、河川にも湖沼にも投棄が禁じられている危険物質である。如何に薄めるとはいえ、これを水道水に添加するのを推進するというアメリカ政府の政策は、常軌を逸したものとしかおもえない。フランスが、ガンとして、アメリカやそのご用機関であるWHOの提唱に従わないのは、フランスの当事者の健康に関する哲学的思想の深さを示すものである。水道にフッ素が添加されてしまえば、下水中のフッ素はさらに濃縮され、これが肥料として使用されれば、さらに土壌や作物がフッ素汚染される。この連鎖に想像力が及ばないようでは、厚労省歯科保健課の歯科医師や、それとつるんで科学研究費の助成をちゃっかり受け取ってWHOの文献の誤訳だらけの翻訳を業績としてあげている大学教授などは生命科学の研究者として欠陥人間だといわれてもしようがあるまい。
4 岡並木氏の名前は司馬遼太郎の「神田界隈」に一寸登場してくるが、いうまでもなくヴイクトル・ユーゴーとは無関係な文脈においてである。