その1

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下水道は都市の本心である。すべてがそこに集中し互いに面を合わせる。その青ざめたる場所には、暗闇はあるが、もはや秘密は存しない。事物は各、その真の形体を保っている。不潔の堆積あるがゆえに、その長所として決して他を欺かない。率直がそこに逃げ込んでるのである。(略)
  不潔なるもののかかる誠実さは、吾人を喜ばせ、吾人の心を休める。国家至上の道理、宣誓、政略、人間の裁判、職務上の清廉、地位の威厳、絶対に清い法服、などが装う厳めしい様子を、地上において絶えず見続けてきた後、下水道にはいってそれらのものにふさわしい汚泥を見るのは、いささか心を慰むるに足ることである。
(ヴィクトル・ユーゴー・豊島与志雄訳)

パリの下水道について、ユーゴーは上記のこんな面白い言葉を残している。下水道博物館は日本人にはそんなに人気のあるスポットではないが、この怪物の腸の実物を実際に見せるしかけになっている。ルーブルやオルセー美術館などとの共通券であるカルテミュゼーが使えるレッキとした博物館である。
写真は1858年当時のパリ下水道の状態。ユーゴーが『レ・ミゼラブル』を構想していた時のパリの下水道は、こんな状態だった。
                 (写真・パリ下水博物館の資料より)

 

その2

 

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パリのセーヌ川。アルマ橋上よりオルセー河岸側の上流(オルセー美術館のある方向)を眺める。この橋のたもとに宝くじ売り場のような小屋があり、その脇から階段で地下にもぐり込むようになっている。
撮影・2005年2月

 

その3

 

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下流にはエッフェル塔がそびえる。右の青い看板が下水道博物館の所在を示している。

 

 

その4

 

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入り口の階段をおりると、このようなトンネルに出る。これは、不要となった下水道を利用して通路としたものらしい。上部にみえる配管は上水道で、ナポレオン3世の時代にこのような規模の施設が造られたのだから、パリの下水道が一挙に有名になったのも当然である。
   この通路があるセーヌ川の対岸に、瀕死のマリウスを背負ったジャンバルジャンが、サンドニ街から延々5キロの真っ暗闇の下水道を辿って到達した放流口があったといわれているが、出口は埋められたものの、トンネルそのものは残っているはずである。

 

 

その5

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天井の梁から様々な用具がぶら下がっており、下水の清掃が如何に大変かがわかる。この下水は殆ど淀んでいる状態だが、合流するところなどでは相当な激しさで流れている場合がある。流れの駆動力は、高低差によるらしいが、大規模なポンプで汲み上げて高低差を克服している箇所もあるらしい。パリの下水道の約70%は、このように人がもぐれるようになっているという。
冬だったせいか、臭いは意外な程少なく、地上より温かい。
しかし、ここに勤務労する労務者は、殆ど定年まで地下で過ごすことになる。
地上の生活者は感謝しなければなるまい。

 

 

その6

 

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パリ下水道の中で奮闘する労務者。水流の激しさをご覧頂きたい。
労務者に敬礼。
(パリ下水道博物館の資料より)

 

 

その7

 

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一巡すると、最後にこのような部屋に出る。いろいろ図書も販売しているが、英語版のものは「パンフレットを含めて一冊もない」といささか冷淡である。学芸員のような係も勿論いない。
しかし、ビデオの解説は英語のものもあり、おかげで辛うじて情報が得られる。
   この施設はフランス人に見せるのを第一目的としているのかも知れない。途中から親に手を引かれたフランスの子供が、大勢おしよせてきた。この部屋からぶあつい鉄の扉を押して外に出る。

 

その8(終わり)

 

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これが出口。なんとも殺風景なのがいい。ここからは絶対に逆に入れないようになっている。
撮影・2005年2月。